大原 (京都市) (Ohara (Kyoto City))
大原(おおはら/おはら)は、京都市左京区北東部の比叡山西麓高野川 (京都市)上流部に位置する小規模盆地の名称。
古くは「おはら」と読まれ、小原とも表記された。
かつては山城国愛宕郡に属し、南隣の八瀬とセットで「八瀬大原」とも称された。
平安京(京都)と若狭湾を結ぶ若狭街道の中継地点として栄えた。
また延暦寺に近かったことから、勝林院・来迎院 (京都市左京区)・三千院・寂光院など多くの天台宗系寺院が建立された。
また、戦争・政争による京都からの脱出のルートとしても用いられ、出家・隠遁の地としても古くから知られていた。
惟喬親王や建礼門院をはじめ、大原三寂(常盤三寂)と称された寂念・寂超・寂然兄弟、藤原顕信・西行・鴨長明などの隠遁の地として知られている。
中世以後は薪炭の生産地として知られ、独自のいでたちをした大原女が京都まで薪炭を売り歩き、白川女・桂女と並び称された。
後には柴漬や茶、麦粉などの特産でも知られるようになった。
近世の大原郷は12の村から構成されていたが、1883年に中心部の8村が合併して「大原村」を名乗り、1889年の町村制制定の際に残り4村を合併して愛宕郡大原村となった。
その際、旧12の村はそのまま集落として引き継がれ、後に13番目の集落として古知谷が分離・成立した。
1949年に大原村は京都市左京区に編入され、13の集落はそれぞれ「大原○○町」と呼ばれる小字となった。